人生とは、一つの繪を書き上げる様なものではないか、その人の存在が美くしかったか醜い存在であったか、尊い存在であったか、価値なく生きて居たかは、棺を覆ふてから判ると云う、
繪の美くしさも醜さも、筆を措いたときに判る。先日、上野の美術館に行ったとき、それをつくづくと考えさせたれた。
温いほのぼのとした優しい訴えを持った画もあったし、淋しさの中に沈んで見てゐる自分も悲しくなる画もあった。
人間の陳列会のやうなものではないかと思はれた。
大きな巌にドンとブツかってゐる激浪、その小石の上に靜かに坐ってゐる鵜の形、遠くの白い灯台、これは私の懇意にして居た繪画さんの繪だ。
その人の、強情っ張りな高潔な人格はその大浪に立ち向ってゐる黒い岩と、孤獨さは一羽の鵜からも感ぜられた。然し、尚ほ悲しく考へさせられたのは、絵の色にガサツさを見たのである、潤ひが無いのである、それは貧の淋しさに通じてゐたからである。
原子爆弾の戰禍の悲惨さを書いた絵であった。世に戰爭の苦しみを訴えたものであろうが、その重い暗い色と、死者の苦しみの表情の筆使ひは、人間の苦情をこれでもかこれでもかと見せ付け、押し付けてゐる様で、いやあな気持までして終って、その画を畫いた人の重い暗い性格を想像してゾーっとして終ったのである、
