終戦後二三年して、斉藤茂吉が文部省に頼まれて、新国民歌とやらを作った。
その歌詞は本当の古代和歌のやうな古るい言葉で、舌を噛みそうな大和言葉なんだ、俺でさへその歌詞の意味の難解に苦しんだ、発表されたが唄われずじまい。今、誰も覚えてゐないだろ、知ってゐたら、もう一回俺に教へてくれ、頭痛の薬にするから、こんなに学者なんて固い頭なんだ、歌人は低能だ。
リンゴの歌にさへ負けたではないか。
キリストは馬小屋で生れた様に、次の救世主は、大衆の底から出るだろう、そして、日本民族の唄は、案外童謡の中から生れるかも知れない。
子守唄が一番親しめる唄ではないか?
それは兎も角、風呂の中でこんなに考へ乍ら、「木遺り」をもう一回檢斗してみよう。
木遺りは団体の唄なのだ、勞働の唄であり、仲間の唄なのである。木遺りの発生は、深川に木場と稱する隅田川の水を運搬に供する木材取引場が出来てからの事であろう、木遺りはその木を運搬するときの歌なのだ、それにさづさはるのは木材師であり、所謂仕事師達であった。彼等は此処で生活し、生活から唄が湧き出され、唄うことに依って仲間同士の連帯感が出来、相互扶助の責任感と、仲間の掟が作られて行ったのである。そこに、生活の保証と一つの團体意識が湧き、木遺りは、彼等の團対の歌となったのである。
彼等が多勢で唄うときは、そのリヅムに自ら溺れよろこび、又、木場に生きるよろこびを味ったものに相違ない。
