俺は、十八九の頃、初めて、朝鮮民謡の「アリラン」を聞いて感激しそして、恐れた。「アリラン」こそ。朝鮮の国であると。あの淋しい悲しい流れ行く者の唄は、そしてリヅムは、祖国を失って居た歴史と、その人達から唄ひ出され、唄ひ交はされ、唄ひ継がれ、今は、それに依って、朝鮮人の朝鮮人としての意識と、共連帯觀念と、自分達のふるさとの意識と、祖国復帰への憧れとに連らなって居るのだと気付いたとき、俺は日本の將来、必ず日本と朝鮮とが又、民族的対決をせねばならぬ時がある、と慄然とした事がある。
明治初年、西郷隆盛が征韓論を叫んで納れられず政府を去ってから、或は無名の青年が首脳官邸の玄関で屠腹して、その血をアジア地図の上に塗り乍ら、朝鮮支那を失っては日本は滅亡すると叫んでも、又、幾多の壮士が日本万年の計を行ふ基礎として、朝鮮満蒙の曠野に生命を白露と散らしても、朝鮮にあの「アリラン」の唄がある中は、東洋の平和はないと俺は叫んだ、国粋青年堂なんて力んで居た二十二、三の頃、それだのに、敗戰の日本はリンゴの唄で救はれ、朝鮮は獨立して、「アリラン」を唄って居るではないか。
日本に帰ってすぐ心配したのは、早く日本人としての、日本民族としての、唄が出来ねばならない。持たねばならない。一生けんめい考へたが、音楽の素養のない俺では駄目だ、そして、式日だけに唄はれた「君が代」は我々の生活から忘れられ、リンゴの唄は、結婚式にも唄はれ、酒場にも唄はれ、子供にも唄はれ、子守唄としても唄はれたではないか、戰爭の終結は国民の思潮の変化期でもあったし、又、再スタートの時でもあった。この時こそ、為政者は、学者は、音楽家は、新らしい時代の民族の唄を作るべきであった。
あの変動期なら、容易に国民全般に行き渡らせられたのである、リンゴの唄然り、ナホトカの唄然り、そして、政府要路の為政者の無能、学者音楽家達の無頓者が判るではないか、これからではもう遅い、然し、矢張り朝鮮のアリランの様な民族感情の唄こそ現在の日本に必要なのだ、
