若月佑孔の記事一覧

「俺はこう思う」 木遣り-7

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-05-27

 

その事で思ひ出すが、俺は昭南、即ち、シンガポールで終戰を迎えた。終戰になって四五日目に、部隊全員が講堂に集まった。此の部隊は衛生研究の戰略部隊で、半數が軍医と看護婦とに依って出来てゐた。場所はジョージ三世医科大学の跡、大きな講堂で終戰の大詔を奉載してから、「海行かば」を三唱した。大きな精一ぱいの声で講堂の屋根も割れよとばかり、そして、海の底のやうに靜かになった。看護婦のすすり泣きから、大きな泣き声になり、全員の口惜しい泣き声と、死を覚悟した唸りとは、まだあの講堂の壁に浸み残って居る筈だ。


「海行かば」は、殉国の唄だ、これも民族が作り出した歌である、日本帰って来たら、リンゴの唄が流行してゐた。沈滞し、また虚脱し、混迷した内地の人達は、あのリンゴの歌の明るいリヅムで救はれて居たのである。


リンゴの唄は、悲しくも唄はれた。自棄になった人も唄ってゐた。沈滞して居ても口づまされてゐた。そんな明るい新らしい唄が欲しがられて居たのである、そして、何とか平靜が取りもどされたのだ。


あのリンゴの唄を作曲したのは誰か、そして誰が広めたのだろう、企圖して広められたのではない、皆が淋しいから唄ったのだ、唄の中の意味は何のこともない。只あのリヅムなのだ。大衆は戰爭の中の重々しい軍歌や号令や掛け声や、怒声から逃れて、あのリンゴのリヅムに陶酔したのである。
 

元の記事