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「俺はこう思う」 鼓-4

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-06-04

 

何時か電車の中、隣りに坐った老人が鼓箱を抱えてゐた。右手の指がパッパッと動く、拍子をとって居るのだ。じっとその指の動きを眺めて楽しかった思ひ出がある。靜波乱蝶なんて名の打ち方があってよかろうなんて拍子の巧さへ空想する。


高島屋の地下二階に行く。此処には古物店がある、近頃はもっぱら玉露や煎茶道具に凝ってゐるから、拆があれば行っては、何かないかと探す。


見たものが慾しくなる病気もあって、買はないで帰って来ては思ひ出して悲觀するね、此の前は太皷が有った。胴の長さ二尺程で、太さの径は六寸程、細長い妙な格構なので叩いてみたらペンペンと明るい音が胴から、持って居る指に傳はって来る、輕るい、音も輕るいし、胴も輕るい、よく見たら桶胴なのである、薄い板を桶のやうにタガで〆てあるのだ。皮も薄い、何の太皷だろうとそのままに置く、暫くアチコチと品物を眺め乍ら、今の太皷が急に慾しくなった、何の太皷か知らん、もう一度来て、ヒヨイと上を見たら、赤い襦袢のやうな著物や、萠黄色の絆天もある、曰く、「遊芸人道具一式」だから、あの太皷の音は明るく軽い。


神社の神前の太鼓の音はドーンと重い。
腹の底までヅンと響く程だ。あの太皷の胴はケヤキの根を用いる。それをタテに上下からノミで掘り抜いて、馬の厚皮を張ってある、その厚い固い胴と皮でこそ、あの壮重な音が出るのだ。


尺八の先生が教へてくれた。尺八の竹は群生した竹藪の竹では駄目、懸涯のやうな処に一本で生長して、五六年、充分風雨にもまれたものでないと良くない、竹の皮も肉も厚く固くなければあの明澄の音は出ないものであると。


人間の輕重にもあてはまるではないか。


寄席に行って、開幕前の「はやし」を聞くのが楽しい。立派な芸術である。寄席芸人達は、あの太皷を打たせてみれば、一人前か半人前か判るとか、何と云う太皷か、一度さわってみたい。
 

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