会社を停年退職になって、「私は何をしたら」と云ふ人に云う言葉がある。
会社勤めして居る中は旦那持ちの芸者と同じである。旦那と云うのを持たぬ芸一本の芸者は、会社勤めをせず、自分の腕で、力で、抜能で生きて居る勇ましい男のやうなものである。
昔、裸になるまで失敗して、相談に来たハム屋の男がある。俺も気の毒になって散々世話したが、矢張り最后には俺にまで不義理をしてそれから来なくなった。失敗する人間には矢張りその原因があり、どこまでもその根情を持ち廻るものであると感心させられたが、此の男、初対面に、「私は人生の敗残者だ」と云ったの苦しい、悲しい時があっても、琴を出して、絃の調子を整へて、「シヤーン」と彈いたら、心靜かになる様に仕込んでやろうと思ってゐるのである。
自分の特技、術を明確に持つことが自分の存在價値なのである。
だから、貴方も貴女も何か一つの「修行」を持ちなさいって私は云う。
さて、題が「つづみ」だから、皷のことに帰る。
昔、牛込に三須さんと言う家があった。三須流の皷の家元だ。俺はよく夕方になると、その稽古を聞きに行った。黒い板垣の家で、そっとそれによりかかって、櫻青葉と眺め乍ら聞いたっけ。夕陽の残光の中で、カナカナが鳴き初める時刻だったと覚えてゐる。
皷の音は鋭くて明るい。そしてのどかである。そこに上品な「格」が感ぜられる。
