「小唄、踊りなら今からでも教えて生活に出来るのですが皷は地味なものでございますので」と言う。聞けば方々の会に招かれて皷を打ちに行くし、又、若い人のお手直しもして上げて居りますと言う、では、その皷を専問にやりなさい。苦しくとも鼓専問に生きぬいてごらんなさい。これから何とかそれをやってみるんです、今までの三十年の修行は尊い立派なものです、今更それを棄てた生活を考へてはいけないでせう、只、これから「芸者」になり切りなさい。本当の芸者とは芸一本で生きるものです。貴女はそうではなかった。
だから、皷が中途はんぱになって終った。これからは、皷だけ、つづみだけを打って、打って打ち抜いてごらんなさい。
三十五年芸者をやってゐる人に、改めて芸者になれと云うのだ。此処で自分の芸で生き抜かなかったら、過去三十五年が無駄になるからだ。
四周の人はヤレあれが良い、これがよい、そして今更迷って新規の事を初めては、今までの修行が無駄と言うものだ。ところが、五十過ぎてこそ、「私は皷が出来ます」と言っても、年令的な威嚴と、人も、世の中もその力量を認める。
此の年令の強さと云うものを利用しなくてはいけない。これは、只、老妓の為にのみ言うのではない。
