若月佑孔の記事一覧

「俺はこう思う」 印度語-5

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-06-10

 

みんな行ってみなければ判らない。味はってみなければ判らない。


穂高の山の頂きの風の味ひは汗して登らねば判らない。ブキテマ高地のボーキサイトの赤土山の柘榴の味は、矢張り其処へ行かなければ判らない。


印度、印度、バラモン文化を作り、釋迦を生み出した印度、その時代の社会や、その時代の人達は居なくとも、大地のある限り、風の吹く限り、木々は生え変り、住む人のうまれ續いて来てゐる限りは、大地のささやきは残り、風の叫びは續き、草木の嘆きも、人々の怒りを残ってゐるだろう、それをそうっと行って、聞いてみたい、眺めたい。土を裸足で踏んでみて、手で掴んでみて、納得されるものがあるに相違ない、道傍のこじきの音楽をききたい、それを聖者と崇めて居る人達と一緒に坐りこんで、流行歌のない印度、第三国家として、右、左から離れて、印度文化を作り出したものは、こじきが彈いて歌って居る唄の教へにあるらしい、これは佛教の経典よりも、もっともっと、印度大衆に訴えて、教へて、印度の印度らしさを保たさしめてゐるものに相違ない。印度の強さの底流にあるものは、印度の古代の宗教思想を傳へてゐるあの貧乏僧の詩にあるのではないか、それがききたい、判りたい。印度の佛塔を見たい、ギオン淨舎の跡に行きたいと言うのではない。すれ違った人の一瞬の動作から經文の一節が讀みとられ、小川の橋のたもとの石から印度人としての佛陀の声が聞かされるかも知れない。
兎に角、印度に行きたい。
 

元の記事