親、兄弟、社会人相互の間でも、此の生存競爭以外何もなく、そして、自己を保存する為に相互間の尊教や愛情や信義や道徳や、相互扶助などと云うものが作られたのである、又、その社会の道徳理念や法律や宗教理論まで、その時代時代の経済状況に依って徐々に変化させられてゐる様に、個人相互の交渉のつながりは、もっともっと経済状態、相互の損得の事情で急速の変化をしているではないか、それによって、好悪の情も、親疎の姿も変る。其の基本は何だ。簡單に云へば「利益関係」以外に何もない。
余りにも冷たい批判、人間の情を無視した断定と貴方も思はれるだろうが。然し、これは本当のことだ。
「大衆とは、国の政治、学術、宗教には略んど関係なく、只、生とし生くるものである」との言葉もある。本当にそうだ、大衆は、生き生きて来てゐる、と云ったら、或る人が曰く、宗教も大衆の関係ないと云はれるなら、佛教がなくなったら、大衆の生活が滅茶滅茶になって終うではありませんか」と俺はかかって来た。
「そうか、それなら、釋迦が三千年前から立派な教へを説き、寺が隨分出来、坊主もウント出来たが、人間が少しでも良くなってゐへるのか」と云ったら黙って終った。
何より、インテリになってはいけない。
俺は云う、「狼」になれと、「狼」になって、自分の力、自分の才能を發揮しなくてはならぬと。
