何年か前、”砂漠は生きてゐる”と云うデズニーの映画を見た。又、「生命の神秘」と云うのも見た。その虫や植物の眞剱なそして面白い生活をまざまざと見せられて、その美くしさと、生きる為の智恵の眞剱さと、天地の造化の微妙さに驚嘆したのである、その時の映画の招介説明の本の中に、確か学芸大学の先生であったと思う一文があった。
「人間達は、虫や植物、動物の世界を見て、その調和と、共同生活にもっくりするであろう、それは実に完全な調和とも、協調とも、相互扶助とも考えられよう、然し、それは、部外者としての人間の甘い見方ではないか、虫達、獸達は決して相手方の便宜なんか考へてゐないんだ、只己の生きる事に眞剱に、必死の努力を續けて居るのである。
その必死の努力は、お互ひが己を生かす為に相手を利用する事にある。その形が相互扶助に見えるのである。此處を考へ違いしてはいけない!!と言う様な文であった。確かに正しいと思う、 蜂は花粉を運んでやろうなんて好意で花の傍に寄るのではない。必要なのは食料としての蜜と、巣を使る為に花粉なのだ。蜂は決して花の色の美や姿の良さなどば觀賞しない様に、花は、自分の作る実や種子が甲乙丙丁のどこの土地でも強く生きられる様にする為に、甲乙丙丁と、どこの花粉とも交配せねばならぬから、蜂の躯を利用するだけのものだ。
みんな生きとし生けるものの力である、智恵である、それを人間が觀察して、やれ調和だ相互扶助だと云ひ、人間社会にも相互扶助だ、調和だと云う、それこそとんでもない事だ、軍備を強くし乍ら、平和使節を交換し合ってゐる、悪人が優しい言葉を使うやうに、人間社会の悪智恵の発達は、平和主義、相互扶助社会正義とか愛とか言わねばならなくして終ってゐるのである。
