「抜いて見なさい」櫻井老が二振りの日本刀を前に出してくれた。
言はれるままに何気なく抜いて見る、「妙だ!!」
「中子を見てもよいよ」と言はれて、目針を外して抦を取る。無銘、そして、一本には十文、別の長い方のには十三文と刻んである。
「なんだいこれは”と驚ろいていきを呑んで考へて居ると、「それが日本刀だよ」と笑って考へてくれた。「余り珍物なので、昔、参考資料として買って置いた。博物館にも無いだろう。」
日本が昔、明と交易した頃日本刀がどんどん輸出された、支那では日本刀の鋭利が賞讃されたらしい、日本刀を賞讃した詩がある位いだ、どうせ大量に製造して送り出したのは九州の野鍛冶の連中に相違ない、それは、刀の地金が九州の砂鉄が使ってあるからだと。で、今、日本がアメリカから、古る兵器を書ひ込む様に、その頃の日本刀は、外資獲得のホープだったかも知れない。
ところが遥々玄海灘を超えて支那に付いて、さて取引となると、チヤンコロは足許を見て、散散値切ったらしい。その商賣に当ったのは血の気の多い博多や南九州のアンチヤン達や、日本から学問に行って居た僧侶坊主だったのであるから、話がめんどうくさくなって、商賣ものの刀を抜いて、大戰爭にもなったらしい、そんな小説もあったことを思ひ出す。
それでチヤン〇ロの国まで持って行って値切られるのがしやくだから、十文、十三文、もっと長いのは十五文と定価を刻み込んだと云う訳、“これでも日本刀”なのだ。草鍛冶が大量生産で作った刀でも日本刀、「鋭利鉄を断つ」儒夫をして起たしめて来た傳統ある日本刀の中にもこのやうなものがあるそして、「これが日本刀と云うもの」なのである。そして、これでよいではないか。
