本当の供養とは自分の生命を養ってゐる天禄としての食物を供養することである、食物は天禄として人人の德と生命との分に応じて與えられてある、これが尽きると死ぬのだ、食は生命である、その生命をすら人に布施供養する、これが最大の供養である、だから、今のその乳の供養を欲するのだ」と言ひました。
主人は考えました。「神通第一の目犍連が此の僅か一杯の乳を欲しいと言うこれはきっと深い訳があるに相違ない、判った、わかった!!これはきっと非常な薬になって居るのかも知れない。俺には判らないのだが、不老不死の力がある乳になってゐるに違ひない、目犍連にはそれが判ったから、這入って来て、急に呉れというのだな」と、ところが、目犍連には心配でたまらないのです。
もう、此の主人の食禄は尽きてゐる。もう、この一杯の乳で食録が終り、生命も終るのだ、世の中にはもう一杯と酒を唇に持って行き乍ら、それさへ呑めないで死ぬ者が多い。人生には貧富の差はあっても、生命は食禄を一定のものとして與へられてゐる。
それが盡きるときは、如何なる名医も効薬も療すことは出来ぬ。多くの人々は、皆、それを知らずに、食を乱してゐる、それは、生命を自分の手で引きちぎっている様なものだ。
此の主人は、財を蓄積することを人生の成功、幸福と思って熱中し、人の膏血を絞る様にして富み、宮殿の様な家に住んでは居るが、少しも食を正さなかった為にその食禄は少しも益されて居ない。今、其の食禄の盡きる時が来た。
せめて、最後の一口の乳でさへも供養せしめて、本人は知らず知らずの中になりとも、人に布施する優しい「行」を行はせ度いと思っての事である。
富んだ主人は急いで杯を取ってぐいとその乳を呑んだ。目犍連には、黒い執著の谷に石の様に転り込んで行く生命を何とも出来ぬであった。
