親不孝と云う馬鹿は罪はないが、子不幸と云う馬鹿な「親」がある。
或る親が未亡人をだまして、チヨイとよろめかして、四五十万の金をチヨイと都合した。都合するのには大義名分を立てた。さあ、それが返せない。大義明分を立てたからいけない。問題になって終って、息子さんが今まで粒々辛苦した金を出して辯済した。俺はその息子さんに云った。「金は惜しくない。これから、働けば又出来るから、それよりも、君は今まで尊敬して来た父親が、その尊敬に價ひしない人であったと知った事が、一番うらめしい事である」と。世の中に親不孝、親不孝と云うが、如何に子不孝の親が多い事か、子供は親不孝をし乍ら、親には親しみと尊敬を持ちたいのだ。その子に「孝行」をさせない親こそ多いのである。それは「親」としての尊嚴を保って居ない親なのである。
戰後の学者、宗教家哲学者は簡單に日本の尊嚴」を破って見せたのである、そして自分達の「尊嚴」をも知って終ったのである。それは丁度、十三文、十文の刀があることで、全体の日本刀を「疑はせる」様なものである、然し、十文、十三文の刀もある事に目を覆ってはならないのである。一ヶの人物、缺奌もある、缺奌を指摘して、その人物の良能美奌を見失ってはならない。
