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「片片草」 十三文-3

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-07-02

 

戰後に盛んになったものに、暴露記事がある、特に歷史の再認識と云うことで、日本の歷史を考へなほさねばならなかった。日本の歷史として考へる中心は常に皇室の衰盛を中心としてあったから、必然的に皇室の批判となった。政治的変遷よりも、日本人の尊崇の原因となった「皇統連綿」へである。


そして、十文、十三文が暴露せられたのである。甚だ嘆はしいことである、日本刀の尊嚴が傷けられる様に、皇統連綿を金華玉條として信じてこそ強かった「皇室を頂いてゐてこそ日本人」としての根本が覆へって終ったではないか、だから、何事も正直にせぬ事である、正直にすると、その尊嚴性は失はれて終う、そして、日本刀全体を疑って終うように、過去の日本と、皇室を疑って終う、斯うなっては、もう淋しいものではないか、切角日本刀は切れるもの、立派なもの、大和精神の表象、日本武士道の粋と尊ばれて来たなら、そのままで良いではなかったか、歷史も、今まで美化され、美化することに先祖代々、学者達が努力して来たものだから、芸術品を尊重して次の世代に美しく傳承させても良かったではないか、どうせ、世の中はウソの固りである、私は云う、「世の中は十の中、十まで、オーん「ウソ」なんだよ」と、芝居だって、映画だってウソだ、舞台の上でヤアッと刀で切る、竹べらの銀紙張りの刀であってるから、安心して、よろこんだり、涙したりして見てるんだろ、あれが本物で、現実に人が死ぬのなら、見てゐられまい、芝居だから見て居られる、その苦悩してゐる人物が若し貴方なら、その様に批判も出来まい。

 

一事が萬事ウソだ、医者が大丈夫ですよと云うウソもあるし、坊やはいい子ネ!!もうそだ。商賣もウソが大部分と俺は思う。


「ウソから出たまこと」と云う言葉は、「うそから出るまこと」ではないか。ゼロから有が出て来ることだ。商人、特にブローカーなんか、無を有にして行動する。政治も無を有にも、有を無にもしてこそ大衆に生活動向を考へ、そして指導するものであり、正直に示してゐたら、切りがあるまい、政治の要諦は、「これは、代議士同志の議会での泥試合ひの所謂「政治」ではない」大衆を納得させて治める根本は「坊やは良い子だね」なのだ、ウソが眞實になって働くと云うことなのだ、眞正直にウソが無かった、苦しい、味気ない、きゅうくつな世の中になって終う、お互ひにウソを云ひ、又、自分にもウソを云って元気付けて、そしてこそ、張り合ひがあって生きてゐられるのではないか、
 

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