何時か、三越で支那古陶展があって、三彩色の馬の像があった。「よう桶」と云うもので、王候の墓地への葬祭に供せられたものであるが、此の模造品が都内のデパートに現はれたのは一ヶ月を経てゐなかった。
すぐ誰かが模寫模造したものである、その原形を見知ってゐる者には到底見るに堪えないものとなってアア、思ひ付き程度以上のものではなかった。
思ひ付きは、簡單でなければ大衆が付いて来ないのであって、あの一時、大流行を見せた茶羽織も單に短く作った。作り方が容易であると云う処に流行する強味があったのである。
フラフープも構成がこれ以上簡單には作れない処、だから、大衆の需要にすぐ應じられたし、又、操作が簡單と云うことで子供にも大人にも人気があった、それよりも、子供の遊びの中に親達もカンタンに捲きこまれて、親子一緒にあそぶと云ふ現象が出来て来て、その為、子供の大切なオモチヤになったのではないか、家中が一つのもので遊べるものが必要だと云うことの裏に、親子一緒にあそべない、あそんでゐないと云ふ現代生活の哀感を見る。
ダッコちゃんもちょっとした思ひ付きであった。玩具問屋の主人公曰く、到底考へられない事でした。玩具に黒は禁色とされてゐましたからなのである、これは子供達より、大人の方がのぼせた形、思ひ付きのもので成功するには、使用が簡單なこと、製造が容易であること、もう一つ、すぐ初めてすぐ終る為に製造設備を改めたり、大きくしないで済むことではないか、思ひ付きはすぐ大衆に飽きられるものである、これを忘れてはなるまい。
