何時も云ってゐる第三国家と云うこと。自分では口ぐせの様に云うが、判って貰ってあるかどうかが心配で、矢張り書いておかねばならない。
私の処の相談に来る人だって、易哲学の一片を理解させて、人の世は斯く斯くあり、貴方の境遇は斯う、特徴はこうだから、此の様な自己を保持して、此の様に世の中に生きるべきであると説くのだが、曰く、先生の易の判断と、將来への見通しは当るのだが、むづかしくて」なのである、嗚呼、どこまで「当テモノや」にするのであろう。でも、老婆心か、愚痴か、兎に角書いておく。
私の云う第三国家とは、資本主義経済の国家と共産主義国家とがあるとして、そのいづれにも属さないものを第三国家と云ってゐる心算なのである。
理屈で云うとむづかしい。こんな一奌から考へて見る。
