これが自分の「解放」なのである、
これが敢て出来ないなら、只生存しているだけだ、それでは出鱈目の生活をせよ、と云うのかそうではない、自分の自分らしい生活を自分自身の考へで、自分自身の言葉で、自分自身の手足で行へと云うのである、釈迦がなんだ、きりすとが何だ、カントはカントの頭で考へ、プラトンはプラトンの思想だ、マルクスはマルクスの生活から喋ったのだし、孔子は孔子の時代に左右されて喋ってゐるのだ、後世の私達がその先人の言葉を喋って、制御される必要はあるまい、貴方は谷口雅春か?貴方は貴方の言葉で喋れないのかと云ったことがある、自分の持ち味を出して生活しませう、どうせ、社会の一員として捲き込まれて生きねばならぬ大きな拘束ながら、成功もテメイの勝手、失敗もテメイの自由なんだから、社会は制約し乍ら、保証はしてゐないんだ。
理想や学問の極楽に行ったら呼吸が語るし、グラマ、プレに終始したら休む暇もない地獄になって終う、自分が自分の考へで歩ゆむ、社会に対して、自分らしい抵抗を持つ、それには、自分の自分らしい自分の声をきくことが何より大切なのである、自分を知る、これが開放の第一歩である、その第一歩である、その第一歩が鰯の頭でもよい。他から如何に批判されようとも、第二歩を進めねばならない、第三歩は、すでに解放されたことになるのだ、
