此の目に見えない矛盾は、逆に反逆的な生活方式を生み、アプレ、ドライが目に付く様になる、余りにも合理性の生活、に対する抵抗ではないか、現代は此の合理性に対する抵抗が多くなりつつある、インテリには学問的合理性といふブレーキ、理論家には一般的合理性といふブレーキ、宗教家には信仰の合理化というブレーキがかかって、みんなを弱虫して終ってゐる、ましてや、社会の一員として暮すには、余りに息苦しいではないか、だから、私は云う、こうなったら、此の苦しみを打解するには、迷信結好、鰯の頭の様なくだらない事でもよい、「俺はこれが好きだ!!これをやってみるんだ!!」アマノジヤクでもよい、蓼食う蟲でもいいじやないか、自分の求めるものが鰯の頭でもいい、自分自身の考へをもって、自分らしい生活感念を持つことが大切です、世の中には余り常識的でそして居るが多い、その人自身も息苦しい生活をして可愛さがない、私はよく、たはむれに云うんです、地獄と極楽ととっちが好い?
極楽はいいさ、天女が靜かな音楽を奏して、レンゲの花が咲いて、さわやかな風が吹いて、右にはお釈迦さま、左には觀音様、後には勢至ボサツさま、その後には広目天さま、ちょっと待った、此処では勝手に足も伸ばせない、疲れたからってゴロリと横にもなれない、アヽ窮屈だ、チヤントお坐りしてなければならめ、のびのびと立小便も出来やしない、ところが、地獄の方はどうだ、撲られたらケトバセ、ひっぱたかれたら噛み付いてやれる、押へられたら思ひ切ってブン撲ってやれる、のびのびするね、地獄の方が余程自由だ。
