商人は修羅道である。修羅道とは、「殺し合ひ」のことで、地獄に行くと、お互ひ同志の殺し合ひの場だ、現世では武士のやうなもの、刀を抜いてヤアヤアヤア、攻めたり責められたり、殺されたり殺したり、そして、これが休みなく継續する、一人をやっとやっ付けてヤレヤレと思ふ休み間もなく、すぐ次の敵が槍を構えてヤアヤア又、チヤンチヤンバラバラ、眠らず休まずだ、これが修羅道商人も修羅道でゼニコで殺し合ひだ、一寸の油断も出来はしない、借金、手形、いろいろの武器でソロバンの上でスベリ乍ら組打ちが朝から夜まで、「先生!!目が覚めると手形!!とすぐ思うんです!!」そうそう其処まで行かなくては、修羅道とは云へない。
商人は大きくなっても、小さい商賣でも、矢張り金ぐりは火の車のものなのである。
「金の苦勞が無くなりました」なんて云う商人がゐたら、ニセ者である。
此の金の苦勞がイヤなら商人をやめたらずく解決付く、商人である以上、金のグチは云はぬことだ、刀を使ふその刀の使ひ方一つで、こっちの首が取られる、刀を使ふ方則が必要だ。金の使ひ方で、ソロバンの土俵から叩き出されて終う、グチより、金の使い方の研究をしっかり掴んでゐないと、負けるぞまけるぞ、順序が逆になったが修羅の前に、天魔がある、天魔って斯う云うものだ、俺が俺が俺が、なのだ、高く天の上まで昇って終って、下界の者供が馬鹿に見えて仕様のない奴のこと、鼻の上に学問や宗教やをくっつけて、俺が俺がと威張ってゐる、天狗さまだね。
