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「片片草」 自福-4

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-09-11

 

自福と云うことは、今まで一日千円の生活をしてゐたが、今失敗して三百円の生活になったのなら、いさぎよく、一気に二百円の生活に引き下げるのである、毎日百円の余裕が出来る、これを現金預金せよと云うのではない、この位いの心掛けをせよと云うのである、それを、失敗し、貧窮しても、尚ほ今まで通り人には見せたくて、と云っても千円の生活は出来ない。七百円の生活を仕様とする、これでは、失敗貧乏し乍ら、毎日五百円の借金を増してゐるやうなものではないか、これでは絶対的に再起出来ない、それから、食物をととのへること、失敗したら、乞しくなったからって、まづい物を喰へ、池田ではない、麦を食へとは云はぬ。暴飲暴食を極力つつしむことである、金持ちだからと云って、飲食にぜいたくし、暴飲暴食しては、躯も疲れ、こころも乱れて終う、それでは、どうしてその富を正しく保持すること出来ようか、三年間食事を正し整へたら、躯も丈夫になる、躯が壮健なら、顔色も明るく美くしくなる、言葉も正しくなり、家の中も、夫婦親子も和合して、明るく楽しくなる、人との交際も美くしくなれば、必然的に人の信用も厚くなる。あの人ならば、此の仕事を任せられる、協力して貰へないだろうか、と、他人が捨てておかないのだ。

俺は不遇だなんて云ふ者にはきっと何処かに缺奌がある。必ず無理な生活をしてゐるか、表面ばかり飾ってゐるか、たった一人の女房と仲が悪るくなってゐる。

仲の悪るい夫婦の娘は嫁に貰ふなと云うが、女房と仲の悪るい男は連れて来たって役に立っものじやない、金を見せりや慾しがるし、女を見せりや抱きたがる、仕事をさせりや休みたがる、「ミがる」と云って、昔の足輕の部類だ。

自福とは、自分で福をを作り出すことである。それは、自分の生活を無理なく「ととのへる」ことです。
運は自分で開くものではないか、
 

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