若月佑孔の記事一覧

「片片草」 大慾と多慾

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-09-23

 

慾はいけないとは私は云はない。むしろ、大きな大きな大きな慾を持ちなさいと云う。


「私は慾が無いから」なんて云う人は、大きらひだ。


「慾がない」ならやせがまんして、自分を立派らしく見せる、聖人ぶるその言葉をやめなさいと云ひたい。
又、多慾もいやだ。多慾とは、此れも、あれも、と、何でも欲しい。白もほしいし、黒もほしい。成功も欲しいし名譽も金もついでに女まで欲しい。片っぱしから、眼に見たものが欲しくなる。


それは、現在の生活に確たる方針がないから。希望がないから、心に節操が無くなって、眼に寫ったものにすぐ気が散るのだ。


「慾」を持つなら、素晴らしい大きい慾。それを一つに持って、その慾望に邁進したらどうだろう。


大きな大きな慾をドッコイと抱いて、可愛がって離さずに働いたら、その慾だって、其の気になって協力するだろ、只まっすぐに突進する。ガムシヤラでも、良い。いのちがけで進むなら、それで本当の大慾になり、其処から、生活のリヅムが、其の人特有の生活の様式が、生活の意義が生じて来る。


その慾が大きければ大きい程男らしい。大衆の前で、俺の慾求するのはこれだ!!と云へる程目的に突進してゐるのなら、その自身の強さ、大慾の中に男一匹の價値を見る。

珍重すべきは「大慾」である。
 

元の記事